“代打の神様”阪神桧山が引退会見「正直ホッとしている」
甲子園で行われる巨人戦前。ユニホーム姿で会見に臨んだ桧山は「私、桧山進次郎は今季限りをもちまして引退することを決意いたしました」と表明した。今の心境を「正直ホッとしている気持ちはある」とし、引退を決意した理由を「夏場を迎えて初めて夏バテというものを経験した。こういうところで身を引く方がいいんじゃないかと思った」と説明した。
今後については、「(球団の)外からもう一度野球を勉強させていただき、いつか野球界に恩返しできるようにしたいと思う」と、将来的に指導者の道を目指すことを示唆した。会見では家族やファンへの感謝の言葉も繰り返し、終始笑顔だった。
桧山は京都・平安高(現龍谷大平安高)‐東洋大から1991年度ドラフト4位で阪神に入団。主力として2003、05年のリーグ制覇に貢献した。06年から代打の切り札として活躍。「代打の神様」と呼ばれた。
今季も全て代打で43試合に出場し、37打数8安打の打率・216、9打点。通算成績は1945試合で1261安打、159本塁打、703打点。代打での通算107打点、同156安打はともに球団最多でセ・リーグ歴代2位。(記録は6日現在)
ついに引退か。


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桧山、救急搬送!イベントで転倒子供かばう
うずくまり、倒れ込んだ桧山は、一度も立ち上がることなくタンカに乗せられた。子どもたちの笑顔で満ちていた空間が消え、周囲が騒然となる事態となった。誰も予測できないまさかのアクシデント。イベント中、参加していた子供をかばったことから負傷し、救急車で病院へと搬送された。
自身の運営するサイト「桧舞台」で主催し、昨年に続いて京都府宇治市の施設内で実施されたチビッコ企画での緊急事態だ。施設内の広場で、昨年も行ったキックベースをこの日は午前10時40分ごろに開始。桧山は、笑顔で子どもたちと動き回っていたが、午前11時14分ごろに「事故」が起こった。
その時間、桧山は外から試合を見ていたが、試合中の攻撃側の子供が一塁に向かう際、走塁をサポートする形で背中側から抱え上げた。そのまま走ろうとしたところで、バランスを崩したのか転倒する形に。その際、抱えていた子供をかばったことから、桧山自身は受け身を取りきれず、地面に体の左側を強打してうずくまった。
すぐにスタッフが駆け寄って状態を確認。子供は無事で、桧山も意識などに問題はなかったもようだが、すぐにキックベースは中止。広場から子供や保護者らを別の場所に移動させ、施設を通じて電話で救急車を呼んだ。
そこから救急車が到着して、タンカに乗せられて救急車内に入るまで約30分間。救急車を呼ぶ段階で、救急隊の指示があったかどうかは定かではないが、桧山は体の右側面を下にした状態で、一度も立ち上がらずに同じ体勢で倒れ込んでいた。
スタッフの話では、桧山は「腕は大丈夫。骨はいってない」と話したという。その後、5分ほど救急車内で簡単な処置をされた後、午前11時50分ごろにレントゲン検査を目的に病院へ搬送された。
今回、児童や保護者、スタッフら総勢82人が参加予定だったイベント。前日に、桧山はFA権を行使せずに残留することを球団に伝え、阪神の球団最長記録の在籍21年目に気持ちを向けていた。
ケガの詳細は分からないが、今後について関係者の話では、近日中に行われる予定のイベントの参加を見合わせる可能性もあるという。また状態次第では、2週間ほど入院する可能性もあるとする別の関係者も。トレーニングに影響が出る可能性もあり、一日も早い回復が待たれる。
06年当時、阪神のクローザーを務めていた久保田は、休日だった6月21日、ベビーカーから落ちそうになった長女を助けるために右手を出したところ、そのまま地面に強打。翌22日に「右手第4、第5中手骨骨折」の診断を受け、登録抹消。復帰したのは2カ月後の8月22日・広島戦。シーズン成績は47試合5勝7敗16セーブ、防御率3・96だった。
これは心配ですね。
そして久保田の件はやっぱり出てきたかと。


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阪神の桧山はFA権行使せず
7月で42歳になった桧山は今季、代打の切り札として69試合で打率2割7分4厘、8打点をマーク。「来季も戦力になれるようにしっかりと準備し、頑張るだけ」とコメントした。和田監督は「ことし結果が出たので、来年も期待している。頼もしい」と残留を喜んだ。


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