長嶋、松井氏がダブル受賞
ともに長年にわたり、プロ野球の発展に貢献してきた。長嶋元監督は選手時代は天覧試合のサヨナラ本塁打など記憶に残るプレーで人気を集め、引退後に2度、巨人の監督を務めた。
長嶋監督率いる巨人に、石川・星稜高から松井氏が入団したのは1993年。本塁打王、打点王を各3度、首位打者を1度獲得し、フリーエージェントでヤンキースに移籍し、ワールドシリーズMVPなど強打者として活躍。昨年12月に現役を退いた
うーん、まあみんな思うことは大体一緒だよな。


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松井秀喜が現役引退を発表
松井は「日本での10年とアメリカでの10年、20年間たくさんのファンの方に応援していただき、僕の大きな力になりました」とコメントした。メジャー通算で打率.282、760打点の松井は、本塁打、打点、四球において、日本人メジャー選手で歴代1位の数字。日本では1250試合連続出場を記録し、メジャーでもヤンキースに加入して最初の3年間に518試合連続出場を記録している。
日本では、シーズンMVPを3回獲得して、オールスターには9回出場した。メジャーでは2度のオールスター出場に加え、2009年にフィラデルフィア・フィリーズと対戦したワールドシリーズでは、3本塁打を含む、13打数8安打の大暴れでMVPを受賞した。
契約は厳しいとのことだったけど、ついに引退か。
これだけの人の引退とか、なんとも信じられない感じ。


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松井が自由契約に 他球団と交渉へ
7月25日に大リーグ契約の40人枠から外れ、規定により8月3日までに処遇が決まることになっていた。球団によると、自由契約は松井外野手の希望を受け入れてのもの。レイズと再びマイナー契約を結ぶ選択肢もあったが、今後はプレーの場を求めて他球団と交渉することとなる。
昨季終了後にアスレチックスからフリーエージェントとなった松井外野手は、所属が決まらないまま開幕を迎え、4月30日にレイズとマイナー契約。5月29日に昇格し、34試合に出場して打率1割4分7厘、2本塁打、7打点だった。


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松井秀、巨人復帰浮上!来季日本カムバックも
日米の野球人生20年目で初めて戦力外通告を受けた松井。今後が注目されるが、来季に巨人復帰する可能性が出てきた。この春まではメジャーでのプレーにこだわってきたが、年齢や左太もも裏の故障など、満身創痍(そうい)であることは否定できない。悩みに悩んだその先に、日本球界復帰の道が見えてきた。
今季は所属のないまま2月を迎え、ニューヨークでは孤独な自主トレを敢行。4月30日(日本時間5月1日)にレ軍とマイナー契約を結び、3Aを経て5月29日(同30日)にメジャーに昇格した。合流初日に1号2ランを放つなど最初の3試合で2本塁打を放つも、6月に入ると成績は下降線を描き、出場した34試合で打率・147、2本塁打、7打点。打撃面での悩みは深刻で、今後、メジャー契約を勝ち取ることは極めて難しい。
レ軍とマイナー契約を結び直す可能性は残されている。その一方で周囲からは引退の声もささやかれるが、この春の野球浪人中には「野球をやりたい」という現役続行への強い気持ちを吐露している。その当時は日本球界復帰を完全否定していたが、戦力外通告を受けた今は気持ちが揺れ動いていると思われる。
そんな中、球界関係者からは「巨人が関係者を通じて松井と接触を試みている」という証言が飛び出した。松井は1993年から10年間巨人でプレーし、2003年にヤンキースに移籍。しかし米球界に所属したこの10年間、巨人は松井と良好な関係を保つため事あるごとに接触。関係を深めてきたという。松井の代名詞でもある背番号「55」を、当時の代表だった清武氏が2009年のドラフト1位ルーキー・大田に渡し関係が一時こじれたが、今となってはその前代表も球団を去った。
球界関係者によれば、この春の野球浪人中、DeNAなど複数球団が獲得に名乗りを上げた中、「巨人も獲得を前提とした調査を進めていた」と証言している。また、巨人には恩師として慕う長嶋終身名誉監督がいる。
プロ野球のトレード期限である今月31日までに、松井が日本復帰を決断する可能性は極めて低い。来季も米球界に残り活躍の場を探すか、このまま引退という選択肢も残るなか、松井の今後の決断が注目される。
うーん…。


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