阪神・金本が引退を表明「2~3割の充実感を追い続けた野球人生」
プロ21年目、44歳の金本は、広陵高から東北福祉大を経て、ドラフト4位で1992年に広島入り。2003年に阪神へ移籍し、同年と2005年のリーグ優勝に貢献した。連続フルイニング出場では世界記録となる1492試合の記録を持つ。
しかし、近年は右肩の故障に苦しみ、今季の成績は打率2割5分8厘、4本塁打、26打点。最近4試合は代打での出場が続いていた。
通算成績は、打率2割8分5厘、2532安打(歴代7位)、474本塁打(同10位)、1517打点(同8位)。
以下は金本の引退会見のコメント。
「(引退を決めたのはいつ?)実際いつかはわからないけど、10日前ぐらいから考え始めていた。本当の決断はおとといですかね。(理由は?)たくさんありますし、自分に対する限界かなって思いもありますし、若手が出てきてる時代の中で良いパフォーマンスを残せなかった。
(監督にはいつ伝えた?)昨日の試合前ですね。『もう決めたのか? 2003年から一緒だったし、来年も再来年もどんな形になってもカネと一緒にタイガースのためにやっていくと思っていた』と。
(改めて21年間を振り返って?)もっとやっとけばもっと良い数字を残せたんじゃないかという気持ちと、よく頑張ったなぁという思いもあります。この3年間は惨めでみっともなかったし、プロに入って最初の3年間と最後の3年間はこんなに苦しい時があるのかなと思った。
(記憶に残っているのは?)あり過ぎて一言で言えないですけど、練習がきつくてついていけなくて苦しかった思い出もある。レギュラーになってカープで優勝できなかったのが残念。FAでタイガースに来てからはいきなり優勝させてもらって歴史の中でも一番強くて一番お客さんが入った時にさせてもらって幸せだった。(記録の中で誇りは?)後輩たちにいつも言ってるのは連続無併殺記録。全力で走ることができたことが連続フルイニングより誇りに思う。
(自身にとって野球とは?)長嶋(茂雄)さんじゃないですけど、人生そのもの。10歳で始めて7割、8割がしんどいことで、残りの2割、3割の喜びというか充実感を追い続けて苦しんだ。そんな野球人生です」
ここ数年、特に守備は厳しいものがあったからなぁ。
長い間お疲れ様でした。
鳥谷「これでやっと普通のショートに戻れるんですね。」
鳥谷も本当にお疲れ様w


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代打濃厚…城島 意欲的に左翼練習「何事も1が大事」
この日は一塁以外にも、左翼の守備にも就いて練習した。フリー打撃の打球を右へ左へ追うなど、ナイター練習の寒さの中で精力的な動きを見せていた。
どれだけ鳥谷に試練を与える気だろうか。
まぁレフトブラニキが一番やばそうだったけれど。


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阪神・金本、右肩棘上筋断裂のまま復活へ…担当医師「医者泣かせ、普通は手術」
専門家の診断は変わらなかった。この日、MRI検査で映し出された右肩の画像は1年前と同様、棘上筋は完全断裂したままだった。「(筋肉が)ひっついてるかも…」。金本はミクロの可能性に期待を寄せながら再検査に臨んだが、常識は覆らなかった。
「画像を見たら、普通は手術。それが医者としての選択肢。手術しないでプレーできてしまう金本選手は、医者泣かせ。普通の人には期待しないことを期待してしまう」。肩の権威として数々の範例と向き合ってきた福岡県内の担当医は破格の肉体を前に苦笑いした。
昨年11月、同医師から「手術しか考えられない。このままだと日常生活も困難になる」と宣告された。金本は「自分が35歳なら考える」と手術を拒絶。リハビリと筋力強化で再生を目指した。
現役続行はいばらの道を意味するが、検査結果に光明もあった。断裂した棘上筋の周辺にうっすらと新しい膜が見つかった。「まれな範例。他の筋肉の代用をする能力に優れているから投げられる」(前出の医師)。萎縮していた棘下筋の厚みも12・4ミリから16・8ミリに増した。金本は「地道なリハビリの成果だと思う。まだまだ上げていきたい」と意気込んだ。
今季、復活はならなかった。チーム4位の勝利打点「7」を挙げるなど活躍も光ったが、残った数字は打率・218、12本塁打、31打点。絶頂期を知る者からすれば見たくない姿。常識を覆す復活劇こそ、鉄人の名にふさわしい。
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